所長の日日坦坦(ひびたんたん) 「美しく青きドナウ」
1.所長の日日坦坦 「美しく青きドナウ」
センターだより第134号をお届けします。本号が皆さまにとって有益な内容でありますことを願っております。
その人の名は、キャサリン=エリス。愛称はキャシー。ある映画のヒロインです。
キャシーが生きたのは、19世紀末から20世紀初めのイギリス。世界が暗たんたる時代に突入しようとする頃でした。利発で活発な彼女は、その頃の女性には珍しく自転車も乗りこなします。また、婦人参政権運動にも加わります。当時としては、眉をひそめられることもあったでしょう。
ある夏の休暇に、彼女は友人とオーストリアへの自転車旅行に出かけます。自転車旅行といっても、船や列車に自転車を積んで、ゆく先々でサイクリングや登山を楽しむ旅行です。
旅の途中、一人の男性と出会います。彼女よりもかなり年上のその男性の名前は、チャールズ=エドワード=チッピング。ブルックフィールド・スクールでラテン語を教える教師です。まじめで堅物、ユーモアのかけらもない男でした。やはり友人と旅行中の彼は、登山の途中で休んでいるキャシーを遭難者と勘違いして、彼女を助けようと危険を冒します。このことでキャシーは彼に好意を抱くのでした。
二人はそれぞれの旅を続けます。運命の再会は、ウィーン。四人で舞踏会に行くことになりました。かつてウィーン会議の舞台となったシェーンベルン宮殿での舞踏会。キャシーはチッピング先生に「あなたと踊りたい」と言いますが、不器用な堅物は、踊れる自信がないと断ります。
諦めないキャシー。ついに先生を誘い出しました。「美しく青きドナウ」の曲に合わせて踊る二人。ほかのどの踊り手よりも輝いていました。
ほどなく二人は結婚し、キャシーは夫をチップスと呼ぶようになります。「チップス、あなたはいつか必ず校長になるわ」。キャシーは夫に自信を持たせます。堅物だったチップス先生は、妻のおかげで冗談も言えるようになります。キャシーの人柄は皆を魅了し、二人の家はいつも教師や生徒たちでにぎやかでした。
しかし、悲劇が訪れます。初めての出産のとき、キャシーは赤ちゃんとともに命を落とすのです。あまりにも突然で、あまりにも無慈悲な。
チップス先生はその後も教師生活を続け、やがて校長になります。校長室の椅子に初めて腰かけたとき、キャシーの写真に向かって「君の言ったとおりになったね」とつぶやくのです。
死なずにほしかった。もっともっと、チップス先生と幸せな日々を送ってほしかった。子どもや孫に、先生との出会いや生徒たちとの触れ合いを話してほしかった。大好きな映画ですが、キャシーの死だけは口惜しくてなりません。
「美しく青きドナウ」の曲。いくつかのシーンで印象的に使われています。実際にドナウ川が登場するシーンがあります。
二人が出会った旅の途中、それと知らずに偶然同じ船に乗り合わせた二人は、ドナウ川を下る船上でそれぞれの友人とこんな会話を交わします。
先生の友人「美しく青きドナウって言うけど、茶色に見えるな」
先生「言い伝えがあってね。恋する者にだけ青く見えるんだ」
キャシーの友人「ドナウって汚れてるのね。青くないわ」
キャシー「何言ってるの。青いじゃない」
聡明で明るく、前向きで人を勇気づけてくれる女性、キャサリン=チッピング。私の理想の女性三人の中の一人です。
*映画「チップス先生さようなら」1939年 イギリス